高校時代には、全国大会へ出場することがなかったものの類まれなる身体能力を評価され千葉ロッテマリーンズへ入団した佐々木朗希選手。
ロッテファンのみならず日本中がその活躍に注目していることでしょう!
今回は、
・佐々木選手の今までの感動エピソード
・身長が伸びたことによる苦悩
・名前の由来
など佐々木選手の生い立ちについて切り込んでいきたいと思います!
目次
佐々木朗希の生い立ちは愛に溢れる!
引用:東洋経済ONLINE
佐々木選手の生い立ちですが、調べてみたところ家族や仲間など関わる人たちとの間で愛に溢れていました!
私は、これを知った時心動かされましたし、今後、周囲の人たちのためにもより一層活躍してほしと感じました。
①兄が父親代わりに朗希を教育
佐々木選手の父・功太さんは、東日本大震災にて亡くなられました。
その為、佐々木選手は母子家庭で育つのですが、父親代わりとして3歳年上の兄・琉希さんが佐々木選手を教育していくのです。
琉希さんは、小学3年生〜高校まで野球をやるのですが父・功太さんから厳しい教育を受けてきました。
そして、父・功太さんが亡くなられてからは自分から率先して父親代わりとして弟2人の面倒を見るのです。
そんな琉希さんは、佐々木選手に対して褒めることなく厳しく教育していくのです。
どのような教育をされたのか気になりますね!
噂によれば佐々木選手は、家に帰りたくないと弱音を吐くほどだったようで…。
母・陽子さんからすると、見ていてかわいそうなくらいだったようですよ!
佐々木選手は、琉希さんの教育に対して琉希さんを超えようと努力をしたとか。
そんな状況でも野球を辞めなかったのは、佐々木選手の中に負けず嫌いな性格があったからなのかもしれませんね!
そして、高卒3年目で完全試合をやり遂げたり、チームの投手陣の中でも中心選手として活躍しているのは兄の教育が土台となっている可能性があるのではないでしょうか?
②高校野球の競合・大阪桐蔭の誘いを断った理由は地元愛から
引用:Twitter
佐々木選手は、中学3年生の頃にはストレートが140km/hを超えるスピードだったとのことで、甲子園の常連校・大阪桐蔭高校から誘いがあるほどの実力を持っていました。
しかも、大阪桐蔭高校だけでなく、花巻東高校や盛岡大附属高校といった岩手県の甲子園常連校からもこ
その誘いに対して、佐々木選手は断るのですがその理由は、【地元の仲間と甲子園に行きたい】という地元愛からでした!!
大阪桐蔭高校は、全国の中から超有望な選手が集まり、レギュラー争いが加熱することが想像できます。
そんな環境にいれば自身のレベルアップできるでしょうし、甲子園にだって行けるでしょう。
このような夢のような話を断るほど、佐々木選手は地元の仲間に対する想いが強かったと言えますよね!
他にも、「公立高校でも勝てることを証明したい、勝つことで岩手や東北を元気づける、それが自分の役目だと思う」という使命感を感じるコメントをされています。
恐らく、現在もこのような思いを持ってプレーしているでしょうし、実際に佐々木選手が登板し活躍する姿を見て元気づけられている方は多くいらっしゃるのではないでしょうか?
③母・陽子の様子から学んだこと:プレゼントをするという気持ちが大事
佐々木選手は、東日本大震災で被災後、初めての母の日のプレゼントに100円ショップで買ったハンカチをプレゼントしました。
当時の年齢は9歳になります。
私が9歳の頃、母の日にプレゼントなんか考えていませんでしたねw
ハンカチを受け取った母・陽子さんは、とても喜んだようでこの経験を通じ【プレゼントをするという気持ちが大事】だということを学びました。
ハンカチをプレゼントする前は、「100円で喜んでくれるのかな?」と不安に思ったそうですが思い切ってプレゼントしたことで新たな発見を見出せたということになりますね。
このような経験があるからこそ、子供たちに対して「気持ちは伝わる、何でも良いのでプレゼントをしてほしい」という思いを持っています。
人に何かを伝えるというのは、そういう思いを持っても恥ずかしさが先行して難しいと思います。
しかし、佐々木選手は実際に行動して相手に伝えることができる選手になりますね!
こういった姿勢は、日々のプレーにも現れファンを魅了していることでしょう!!!
④将来を考えた選択、話題となった「登板回避」
引用: web Sportiva
これは、佐々木選手が高校3年生の頃の話になります。
当時、スポーツニュースの中心的となっていた佐々木選手の話題ですが、この時の「登板回避」は物議を醸しました。
皆さんの記憶にも残っている出来事かもしれません。
夏の大会の準決勝で9回129球の熱投でチームの勝利に貢献しましたが、甲子園出場をかけた翌日の決勝戦のマウンドに立つことはありませんでした。
これは、監督が佐々木選手の疲労からの怪我を回避し、さらに持っている素質を考え将来的なことを考慮した結果でした。
佐々木選手自身、とても悔しかったことでしょうし、野球ファンからすると非常に残念な出来事だったと思います。
しかし、こういった佐々木選手の体を考えた判断をしていただいたというのは佐々木選手の体を大事に思っていたからできたことです。
チームの勝利を優先するというのも大事ですが、それでも1人の人間の将来的なことを考慮していただけたというのは、大きな怪我なくプロ野球界に踏み出せた出来事と言えるのではないでしょうか?
佐々木朗希の優しさは震災が関係しているのか?
引用:日刊スポーツ
佐々木選手は、自身が勝利投手となった際などコメントを求められた際、支えてもらった方達への感謝の言葉を口にしています。
佐々木選手の言葉を聞いていると、佐々木選手の優しさを感じますがこれは、震災の経験が大きく影響していると思います。
ーーーーーーーーー
・震災を通じて、当たり前の生活が当たり前ではない、そしてその当たり前がどれだけ凄いことなのかを感じた。
・野球に打ち込めるのは、たくさんの人に支えてもらったから。
当時は、頑張ることしかできなかったが、今はその時と違って勇気や希望を与える立場にある。
・試合でたくさん投げて良いプレーを見せられるよう頑張って、東北の人に喜んでもらいたい。
ーーーーーーーーー
佐々木選手は、震災を経験し多くの人に支えられたからこそ、今度は自分がみんなにgiveしていきたいという意気込み・使命感を持っています。
震災というのは、とても悲しい出来事でしたが現在の佐々木選手の周囲への想い、そしてプレーにはその時の経験が糧になっていることは間違いないですね!
身長が伸びたことによる苦悩
引用:産経ニュース
佐々木選手は、中学校時代から自身が持っている素質を思う存分発揮し、高校3年生の春頃には163km/hのストレートを投げるなど順風満帆な野球人生を歩んできたように思います。
しかし!!!
高身長になったことで野球を辞めたいと思った時期がありました。
それは中学時代になります。
佐々木選手の中学入学時の身長は、160cm前後でした。
それが3年間で20cmもの成長を遂げ、180cmに!!
身長が急激に伸びたことで、股関節痛に悩まされたのです。
痛みを抱えながらもプレーをすることはできたのですが、最終的に治療に専念することに。
この時期には、投げたくても投げられない状況が続き、野球を辞めたいと思ったようです。
今の佐々木選手を見ていると、野球を辞めたいと思った時期があるなんて信じられませんよね。
佐々木選手は、千葉ロッテへ入団後、体力づくりがメインだったり、一軍で登板する機会があっても中7日での登板、といった具合に体への負担を減らす育成方針となっています。
恐らくではありますが、過去の怪我の経験から現在のチームの方針にも納得しているのではないでしょうか?
ちなみに、佐々木選手は現在、192cmと長身ですが小学生時代は至って普通の子だったようですよ!
身長が急激に伸びるとは誰しもが予想しなかったことでしょう。
→【身長:192cm】佐々木朗希、野球を辞めたくなったのは身長の伸びすぎが関係していた!
佐々木朗希の性格
引用:スポニチ
多くを語らない佐々木選手ですが、その性格が気になる方も多くいるはず!
調べてみるとこのような選手でした!
ーーーーーーー
・負けず嫌い
・仲間思い
・素直
・向上心がある
・後輩思い
ーーーーーーー
このように見てみると、今までの佐々木選手の生い立ちが直接関係しているように思えますね!
「負けず嫌い」というのは兄・琉希さんとの間で沸き起こってきた部分だと思いますし、それ以外は震災や怪我の影響、さらには母親の姿を見て醸成されたと思います。
このように見てみると、今の佐々木選手の活躍の裏には、こういった性格も関係しているというのがわかりますね!
名前の由来は『百獣戦隊ガオレンジャー』の「狼鬼(ろうき)」だった!
引用: ピクシブ百科事典
佐々木選手の『朗希』という名前の由来は、『百獣戦隊ガオレンジャー』に登場する「狼鬼(ろうき)」になるようです。
しかも、兄・琉希さんのアイデアだったそうで、この場合の名付け親は琉希さんになるのでしょうか?
戦隊モノは、男の子には大人気な番組ですよね!
『百獣戦隊ガオレンジャー』は、シリーズとして数年ぶりのヒット作となり、しかも時間帯での視聴率最高記録を20年ぶりに塗り替えたようですよ。
琉希さんは、このヒット作を通じ「狼鬼(ろうき)」に思いを馳せたのかもしれませんね。
<家族構成>3人兄弟の4人家族
佐々木選手の家族は、父親の功太さんが亡くなられてしまったので、現在は3人兄弟の4人家族になります。
どのような方達なのか見ていきましょう!
父親・功太さん
功太さんは、故郷・陸前高田市では有名な方だったようです。
仕事は、人生の節目に寄り添う葬儀屋で、人間味溢れる男性だったようです。
しかも、夏祭りでは町内会を率先して盛り上げるほどで、佐々木選手のことを「あの功太の、3人息子の真ん中の子」と認識している人がほとんどだとか。
陸前高田市の市長・戸羽太さんは、功太さんと付き合いが長かったとのことでこのように評価されています。
・有言実行の人
・仲間づくりが上手な人
・気さくで、行動力がある人
・誰もがついていく人
仲間づくりが上手というのは、夏祭りにおいて町内会を率先して盛り上げるという話に直結していませんか?
市長という政治家や企業の社長など多くの人を見る立場の人が、このように人柄を褒めるほどの超有望な方だったんですね。
功太さんと佐々木選手は、親子という関係性だけでなく人柄や周囲から見た存在感という点で共通点があると思いました!
母親・陽子さん
引用:スポニチ
佐々木選手の母親は、陽子さんになります。
陽子さんは、夫・功太さんが亡くなられて以降、シングルマザーとして子供3人を育て上げました。
性格は、気さくな方で美人な女性とのことです。
仕事は、保険の営業マンをやられているようですよ!
⇨【バリバリの保険営業マン】佐々木朗希の母・陽子に再婚説が出ていて草
兄弟/兄・琉希さん、弟・怜希さん
佐々木選手の兄弟ですが、兄・琉希さん、弟・怜希さんになります。
【兄・琉希さん】
琉希さんは、高校時代、大船渡高校に進学し4番を任されるほどの実力の持ち主でした。
大学は、東北学院大学へ進学し、現在は都内の大手広告代理店に勤務しているとのことです。
【弟・怜希さん】
怜希さんは、2人の兄の背中を追うように大船渡高校に進学し野球部に所属しています。
2022年5月現在、高校2年生となりチームの主力選手としてチームに貢献しています。
今後の活躍が楽しみですね!
兄弟仲
佐々木選手は、兄・琉希さん、弟・怜希さんとの兄弟仲はどうなのでしょうか?
兄・琉希さんとは、幼少期に厳しい躾がありましたよね。
そのことで琉希さんのことが嫌になってしまうということが考えられますが、今となっては厳しいプロ野球の世界で活躍していることもあり当時のことはとても感謝していると思います。
琉希さんは、現在、社会人ですので頻度は少なくても登板後など連絡は取り合っているのではないでしょうか?
また、弟・怜希さんとは頻繁に連絡を取り合っているようですよ。
優しい兄ですので、野球のアドバイスをしたりしているのでしょうか?
世間の声
引用:Twitter
引用:Twitter
引用:Twitter
引用:Twitter
引用:Twitter