ソフトバンクグループ株式会社の会長・社長を務める孫正義さん。
グループ会社の中では絶対的な存在で、手腕や発言など様々なことに注目が集まりますよね。
今回は、
・孫さんの育てられ方
・渡米したこと
・日本での事業開始
など孫さんの生い立ちについてまとめていこうと思います。
目次
孫正義の生い立ちは家族の危機からSTART!
引用:SoftBank
孫さんの生い立ちは、父親が倒れるという家族の危機からSTARTしました。
それまでは、父親や母親は働きに出ており留守にしていました。
孫さんは、リアカーに乗ったりし祖母に育てらたようでそんな祖母のことを大好きだったようです。
孫さんの祖母は韓国出身なのですが、年齢を重ねるごとにその韓国というキーワードによって自殺したくなるくらいの差別を受けることになるのです。
そんなある日、孫さんが高校生の頃に父親が吐血で入院することになりました。
それまで、父親はパチンコ屋や消費者金融で、高級車を何台も所有するほど成功を収め裕福な生活を送っていましたが、急に家族の危機が起きてしまったのです。
・孫さんの1つ上の兄は、高校を中退し家計や父親の入院費をサポートする。
・母親も仕事をした。
しかも、孫さんはこの時、『龍馬がゆく』を読み一度しかない人生で世の中のために、そして人のために頑張って何かを成し遂げたい、と思っていたのです。
孫さん自身が身を置く環境&自身の志が燃えていた、といったことを通じ中長期的に家族を支えられるようになろうと事業家になろうと決心し、アメリカ留学を志しました。
家族の反対を押し切った渡米
孫さんは、高校時代に周囲の反対を押し切って渡米しました。
それまで日本の学校に通っていました。
・北九州市立引野小学校
・北九州市立引野中学校&福岡市立城南中学校
・久留米大学附設高等学校
しかし、高校時代の夏休みを利用しアメリカ・カリフォルニア州に語学研修で4週間の短期留学をしました。
そこで技術の高さや規模の大きさ目の当たりにし、高校1年生の1学期に退学し、アメリカへ渡ったのです。
この際、母親や祖母、それ以外の親戚、担任の先生、友達から猛反対を喰らうことに。
それでも2つの思いがあったので、反対を振り切ることができと推測できます。
①家族を支えたい
②自分が悩んできた国籍や人種で苦しんでいる人たちに対して、自分が成功して人間はみんな一緒だと証明したい
この時、孫さんは高校生ですからね。
ここまで真剣に家族のこと、さらに自分と同じように苦しい思いをしてきた人たちのこと、といった他者を思う気持ちが根強くあったとは知りませんでした。
IT実業家のきっかけを生む藤田田との出会い
引用:日本経済新聞
孫さんは、アメリカへ羽ばたく前に「ユダヤの商法」という藤田田さんが書いた本を読み感銘を受けたそうです。
そして、藤田さんへ会いに行ったのです!
最初は、藤田さんに会うのは難しかったようですが、孫さんの熱い思いが伝わったのか15分だけお話しできる時間を設けていただけたのです。
孫さんは、藤田さんに対してアメリカで学ぶべきことについて質問しました。
藤田さんの答えは、「これからはコンピューターの時代、自分が学生ならコンピューターを勉強する」ということだったようです。
それまでの孫さんの経験があってこそだと思いますが、今の孫さんはこの時の藤田さんの一言がIT実業家になるステップだったのかもしれませんね。
アメリカの高校へ入学
引用:Co-Media
孫さんは、久留米大学附設高等学校に入学するも高校1年生の1学期に退学届を出しアメリカの高校へ入学しました。
・サンフランシスコとのセラモンテ高校2学年に編入学し、3、4年生と飛び級し高校卒業検定試験に合格3週間で退学。
・ホーリー・ネームズ・カレッジに入学。
渡米前には、父親が倒れるという悲惨な出来事があったためか歩きながら、食事しながら教科書を読み漁ったようですよ。
・「両目で皿を見ながら食事したらどんなにおいしいだろう」と考えつつ、左手に教科書、右手でフォークを持ち視野に入った食事を食べていた。
・体調が物凄く悪くても授業は休まず、教室の前列のど真ん中に座っていた。
・トイレに行く時、道を歩く時、は教科書を手放さない
・運転する時は、イヤホンで授業を聞いていた。
死に物狂いで勉強に励んでいたことがわかりますね。
その後、ホーリー・ネームズ・カレッジに入学後、カリフォルニア大学バークレー校経済学科の3年生に編入されたのです。
大学入試の度胸の強さに驚き!
孫さんは、カリフォルニア大学への入学試験において驚いの度胸の強さを見せるのです。
試験は、全文英文で孫さんは少ししか読めなかったようです。
その為、試験官に辞書を貸してほしい、さらに、その辞書で調べる時間を設けてほしいと伝えました。
試験官など多くの方を巻き込みながら最終的に、州知事と直接会話し、自身の望みを叶えたのです。
それだけ、試験に受かる自信があったということでしょうか?
どんな人でも大一番で、試験官以外の方を巻き込み自身にとって最適な環境を作るという発想はなかなか持てないと思います。
当時から今に繋がる才能の原石を持っていたということなのかもしれませんね。
カリフォルニア大学在学時の実績にぶったまげたw
引用:Twitter
調べてみると、【発明し、資金調達&会社を設立した】、というのがカリフォルニア大学在学時の実績になります。
そもそも、カリフォルニア大学バークレー校経済学科に編入したのには理由が2つあります。
①将来自分が事業を起こす時の練習にしたかった。
→学生時代の失敗は、勉強で済む。大学を卒業してからでは遅いと判断した。
②クリエイティブな欲求。
→マイクロ・コンピューターに感動していたため、コンピューターを使用した製品を開発したかった。
このように先々を見据えて編入した孫さんですが、編入後も勉強漬けの日々を送っていました。
・アルバイトはしない&友達と遊ばない
→後の奥さんになる女性と図書館で勉強していた。
・ベトナム兵に間違われるほど身だしなみを整えていなかった。
発明の原点
会社を作るためには資金が必要で、その資金を作るために発明をし、特許権を売ることを考えました。
その為には、とにかく頭に浮かんだアイデアを洗い出したそうです。
松下幸之助さんのやり方を真似たのか、1日5分、1つの発明を自身に課すことに。
1年で250のアイデアを生み出しました。
一例)
・万年筆とボールペンの良さを組み合わせて、ノックしなくても芯の色を変えられる三色ボールペン
・車で現在地を知らせるような仕組み
・声の出る腕時計
250のアイデアのうち、孫さんの判定基準を満たしたのが「多国語間音声翻訳機」になります。
→聞きたいことを日本語でキーボード入力すると、訳された英語が声となって出てくる。
資金調達に成功!
孫さんは、シャープへ売り込むことに成功し1億7000万円を手に入れたのです。
このような成果を出す為には、アイデアを出しただけで技術や知識がなかったため、自身の大学の教授や専門家など全く会ったことのない方たちを集めました。
その際、開発にあたっての部品代や人件費は大金が手に入ったら支払うという成功報酬型を出すということも伝えたとか。
そして、売り込む先は、日本企業になり松下電器やソニーなどに手紙を送りました。
本命はシャープで、ただ断られ続けました。
ですが、諦めたくなかったのかアプローチ先を変えるなど、やり方に変化を加えたことで1億7000万円を手に入れたのです。
Unison Worldを設立&売却
孫さんは、大金を手に入れた後、成功報酬を支払いました。
残った資金でUnison Worldを設立しました。
気になる事業内容は、インベーターゲームを売るというものになります。
この時期は、日本でのインベーターゲームの熱が冷めている頃で在庫が余っている状況でした。
その為、日本からアメリカへ輸入し、各地のレストランへ設置していきました。
最終的に日本から350台ものインベーターゲームを持ち込み、半年間で1億円以上を儲けたとのこと。
そして、1980年3月にカリフォルニア大学バークレー校を卒業するわけですが副社長に売却し日本へ帰国しました。
当時からアンテナを張っていたからなのかもしれませんが、学生時代に事業を作り、売却までやるというのは現代でも滅多にいない存在だと思います。
その人の努力次第ではここまでできるんだということを証明したエピソードになりますね。
それにしても大学生で資金調達や会社の設立・売却をやってのけてしまう孫さんの力には驚きです!!
日本での事業開始
孫さんは、アメリカで事業売却をして以降、日本に帰国し、故郷の福岡で今後の事業展開について考え、考える時の1つの軸として「始めたら、その事業以外のことには手を出さない」というのを掲げ絞り込んでいきました。
期間は1年半に及びました。
後に、孫さんはこの1年半考え抜いた期間がその後の飛躍につながったという趣旨のことをお話しされています。
また、起業だけでなく起業するにあたっての自身の名前の選択をされるのがこの時期でもあります。
孫さんの家系は、韓国出身なのですが日本で暮らすにあたって通名の「安本」という名を名乗っていました。
それには、差別が関係しているようで孫さんは「安本」ではなく「孫」という本名で起業するのです。
この時の孫さんの思いは、こちらにまとめましたので是非ご覧ください!
→孫正義がアメリカ国籍を取得した理由に共感!通名は安本正義で本名を使う理由が感動的で泣ける!
日本ソフトバンクの設立
引用:SoftBank
1981年9月に日本ソフトバンクを設立しました。
アメリカ留学中にIBMのプログラミングの授業を受けていたようですが、ある日雑誌を見た時に大きなコンピューターがマイクロチップに変わることを知った時に手が痺れるくらいの衝撃を受けました。
これからはパソコンの時代が来る、学校や政府だけでなく一般の方達の手元にも普及すると感じ取ったようです。
そこで、パソコンを日本全国に流通させることにしました。
当時は、小売店が独自でメーカーから卸していたので、商品の過不足がありお客様の需要を満たせなかったようです。
そういったこともあり、名前には情報化社会のインフラを目指した「ソフトウェアの銀行」ということで日本ソフトバンクにしました。
ちなみに、孫さんは、ソフトウェア展示会において資本金1000万円のうち800万円を投じてソニーやパナソニック並みのブースの広さを取り、PCやソフトウェアなどの製品を宣伝されていたようですよ。
目のつけどころ、行動や発想の大胆さが際立っていますね。
病気で余命宣告を受けた
引用:ソフトバンク
自身の会社が軌道に乗り始めた頃、1983年ごろ孫さんは慢性肝炎を患っていたのです。
倦怠感やだるさなど体に異変が出ていたものの、休みがなら仕事をしていましたが定期検診にて発覚し入院することに。
大事な会議や記者会見は体に鞭を打ち出席し、社内の方達には電話で指示をするということをされていたそうです。
このような姿を見た主治医からは、「自分の命を縮めてどうするのか?」などと叱られたようです。
そこで何の為に仕事をするのか、何の為の会社なのか、を自問自答しました。
何があったら幸せなのかを考えた時、家族の笑顔が見れることで自分の地位や名誉、お金はいらないと思えたようです。
しかも、突き詰めていくと『人々の笑顔のために人生を捧げたい』と本音で思い、仕事に復帰できたとのことです。
がむしゃらに前を向いて頑張る時期というのは、その後の人生の土台になると思うので大事な期間だと思います。
しかし、ある程度歩みを進めた後は何の為に生きるのか?といった人生トータルの目的・目標がその人が動き続ける燃料となるのかもしれませんね。
祖母から教わったことを思い出した
引用:Logmi
孫さんは、祖母と共に祖母の故郷である韓国に出向いた時がありました。
その際に、家族・親戚から集めた衣類を子供たちに渡したのですが、子供たちに喜んでもらっている、そして祖母も笑顔だった、という光景が忘れらないそうです。
病気になったことでお金や地位、名誉でもなく祖母がやっていたような人に喜んでもらえる、という他者貢献の大切さを思い出したそうです。
過去の経験と自身が体調を崩した経験が一致したということですね。
この時の経験が現在の孫さんの活動や仕事観に活かされているのではないでしょうか?
Yahoo! JAPANを設立
引用:現代ビジネス
孫さんは、1996年に日本の普及し始めたインターネットに関する事業を立ち上げるべく3ヶ月でYahoo! JAPANを設立しました。
当時、孫さんはアメリカにあるYahoo!に元々出資されていました。
ですが、それで事業ができたのではなく色々な企業から名乗りを上げていたのですが、3ヶ月という短期間で設立するという計画を提示し、見事に実現させることができました。
ヤフーBBを開始する
引用:ソフトバンク
当時の日本は、世界でGDP(国内総生産)が2位だったにも関わらずインターネットの速さは遅く、料金が高かったようです。
孫さんは、この状況に強い課題意識がありました。
気になる方針や料金形態などはこのような内容でした。
・方針:Yahoo! JAPANのユーザーだけでなく日本国民のインターネットユーザーに対して展開する。
・料金形態:NTTの5分の1、8割引き
・インターネットの速度:NTTの4倍の速度
この特別感あるサービスだったため、想像以上の申し込みが殺到しましたが機材が足りておらず、サービス希望者からは詐欺師扱いとなってしまいました。
回線を使うにあたり、NTTの許可が必要だったのですが受け入れてもらえず。
その為、孫さんは総務省へ乗り込むのです!
NTTが独占禁止法ではないか?と問い続け、最終的には「灯油をかぶって自分で火つけてここで死にます!」とまで言ったとのこと。
そうしたら、何をすればいいのか?という話にあり総務省担当者からNTTの社長に警告の電話を入れたようです。
その後、NTTと孫さんで回線について会話したのですが、通信方式のことで折り合いがつかず、結果、独自のサービス「ヤフーBB」を開始することにしたのです。
アイフォンの販売権獲得
引用:Newspicks
孫さんは、アップル創業者のスティーブ・ジョブズさんと会いアイフォンの販売権獲得を実現しました。
孫さんは、ジョブズさんと会うにあたって「音楽が聴ける携帯は良くない?」という話をしたところジョブズさんからアイフォンの話が出ました。
その話を聞いた孫さんは、アイフォンを売りたいという想いが湧いてきたのです。
ここから、孫さんはアイフォンの独占販売権の交渉へ入るのですが残念ながら携帯キャリアを持っていません。
そこで、孫さんはボーダフォンの買収を行うのです!
しかも、携帯キャリアを持つことだけでなくソフトバンクのロゴマークや店舗を変え、ジョブズさんの考えるビジュアルやデザインを意識し全社的にアップルを向かい入れる準備を進めたのです。
そして、2008年にソフトバンクは、アップルとアイフォンの販売契約を結びました。
その他の実績
引用:毎日新聞
ここまでは、ソフトバンクやYahoo! JAPANの設立、アイフォンの販売権獲得をご紹介してきましたが孫さんはこれら以外の実績を一部ご紹介しますね。
・2004年:プロ野球球団のダイエーホークスからダイエーを買収し福岡ソフトバンクホークスのオーナーへ。
・2015年:アリババ、フォックスコンとロボット共同開発による事業提携。
→ヒューマノイドロボット「Pepper(ペッパー)」が開発された。
・2011年:東日本大震災発生後、100億円の義援金を寄付。また、ソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付した。
その他、日本テレコムの買収や衛生放送プラットフォームの運営会社の設立に寄与するなど事業拡大や他社への援助などをおこなってきています。
世間の声
引用:Twitter
引用:Twitter
引用:Twitter
引用:Twitter
最後に
いかがでしたでしょうか?
常に世間が求めていたり、今後必要になるであろうことを見つけ事業展開されていましたよね。
このような視点や行動、思いというのは私たちにも取り入れられそうですね。
ここでは、孫さんの仕事に関する生い立ちを見てきました。
孫さんは、仕事だけでなくご家庭を持っており、子供がいるという情報もあります。
是非、こちらもご覧ください!
→孫正義の子供は父親譲りの天才肌?慶應大学卒業後、ゴールドマンサックスに入社しているって本当?